昨日急に痛んだ。私ももう27だもんなあ。まいっちんぐなどと言ってられないなあ。最近は、試験の結果待ちで落ち着かない不安な日が続く。
もし駄目だったらもうおしまいだな、などと考えて悲観的になってしまう。収入もそうだが、また同じ環境のもと張り合いなく時間を過ごすのがいやだ。手を抜こうと思えば、どこまでも抜ける。楽には楽だが、それなりの相手にはそれなりの満足感しか得られない。それに、少人数を教えるのは張り合いも無い。教えることに変わりは無いが、違う。今の状況を早く抜け出したい。例えるなら、漫画化家にはなれたものの、エロ漫画しか描かせてもらえなくて、新人賞の結果待ちの売れない名も無い漫画家だ。何か光るものがあるならきっと道は出来るんだろうが、能力があるのかも最近自身が無い。やはり何事も結果がついてこなきゃ認められないんだろうな。
私の個人主義を読んでいる。漱石が実は落語好きだと知り少し嬉しかった。漱石の文は読みやすい。ただこれに関しては内容がかなり濃く一気読みは出来ないから毎日少しずつ読んでいる。
読書が好きになったのは高校から。今一番好きなのは清水義範。女性では俵万智、田辺聖子ら。中島らもも凄く好きだった。本屋に入ると」ついつい長居してしまう。欲しくなるからなお厄介だ。
ところで最近塾長と意見が全く合わない。塾長はある意味甘すぎる。だから、生徒の成績が上がらないんだと思う。はっきり言ってイライラする。低レベルな学問を教えても面白くないし無駄だ。本当に意見が合わないから、筋を通して辞めたいと感じる。あと、どうしようもなく頭が悪い子に教育費をかけるのはお金を捨てているようなものだ、とも思う、自分の意志でなければ来る価値は無い。冷たいな、と感じるが、躾や甘えを求めて通塾するのはお金の無駄だ。皆が行くから行くというのはもっと良くない
寂しいときや、心が穏やかでないとき、ついつい花を買ってしまう。部屋に花があると幸せになる。まだまだ寒いけどもうすぐ梅の季節だ。京都の北野天満宮は梅の名所だ。よく学生時代見に行った。拝観料を払うともらえる梅茶を梅を愛でながら飲むのは実に美味しい。昔住んでいた場所の名前が白梅町と言った。はくばいちょうと読む。京都には、祇園、一条戻り橋、西陣と風情ある名前が沢山ある。住まなくなってからも、なお大好きな街として心に残る。景色はいつも春だ。
様々なタイプがいて、しないから知らないから出来ない子、本質的に出来ない子に分かれる。勉強が出来ない理由の一つに、勉強のやり方を知らないというのが大きい。最近は共働きで、教育を外に委ねる親が多いが、24時間のうちの一番多く時間を共有できるのが親なら、一番の影響力を及ぼすのは親だから、家である程度しつけないといけない。うちの子は馬鹿だという親は、自分が馬鹿だと言っているようなものだから気をつけなければならない。
教えていて一番教えにくいタイプは、無感動・無反応なタイプ。こちらに跳ね返ってくるものがないと辛い。あと時間にだらしない子。大人になってもいるが、どこかで矯正しないと治らない。
ところで、もうすぐバレンタインだ。ハートのカマボコは一体誰が買うのか?最近は和風チョコレートが店に並ぶが、抹茶はチョコレートに良くあっていて美味しいと思う。意外な物との組み合わせが、素晴らしいハーモニーをかもし出す。俳句と同じだ。俳句も普段は結びつかないもののハーモニーが句を趣深くさせる。
芭蕉の句「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」柿と法隆寺の意外な取り合わせが、奈良の都のわびさびを出している。「しずけさや岩にしみいる蝉の声」もそうだ。
今日は節分だ。最近はバレンタインディなるものに二月のイベントの座を奪われているが、れっきとした日本の行事は節分だ。因みに節分は、邪気を追い払うために豆を撒く。季節の変わり目には邪気が生じるとされてきたからだ。これは陰陽道の考えに基づく。この日に太巻きを食べるのは、日本全国の風習ではなく、関西のものらしい。商売上手な関西らしい。バレンタインも多様なギフトが並ぶ。バレンタインとは何ら関係しないかまぼこやですらハート型のカマボコを売り出す。カカオ豆の消費が一番多い季節、それが二月。如月だ。家のチューリップが顔を出し始めた。